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阿栗 満(Agri‐man)氏の農的人生(5) コミュニケーションの基本は「聴くこと」

阿栗は今話すことよりも聞くことを心掛けている。もっと言うならば「聞く」から「聴く」へ。聴くは身をいれて聞くということだ。人間と人間の間で人の話を聞く、ということは日常のことであるが、聞くということは簡単なことではない。若い時は聞くよりも話すことに関心があった。いかに自分の思い、考えを正確に分かりやすく伝えるか。話し方の本を何冊か買って読んで話し方の練習をしたり、話し方教室に通ったこともあった。いかに自分の考えを正確に相手に伝えるか。それはそれで重要なことなのだが、かなり一方通行的考えで今、この歳になってみると相手の言うことをきちんと、ていねいに、正確に聞いて、受け止めることには十分な配慮をしていなかった・・・と気付かされる。当時は正直言って、聞くこと、さらに聴くことには本当の意味で関心を持っていなかった。大事な商談などの打ち合わせの時などは相手の言うことを聞きもらさないようにメモを取るようにしていた。今になって思えば、相手の言うことを正確に聞くことに集中するあまり、相手の気持ち、感情、さらに奥にある深い考えにまでは気がまわらなかったのではないか。これからは耳と心を傾けて相手の話を聞き、受け止めていくようにしたい。しかし、そのような対応を一貫して続けていくことは簡単なことではない。これも一種の修行となるかもしれない。

例えば自分の話を耳と心を傾けて話相手の人が聴いてくれたら、自分はどんな気持ちになるだろう。きっと嬉しくなって、この人なら自分の気持ち、考えを理解してくれる・・・普通は誰にも話さないこと迄話すのではないだろうか。正確に心を込めて話す、耳と心を傾けて相手の話を聞き、肯定的に受け止めていく。ここから新しいコミュニケーションが生まれてくることを期待したい。コミュニケーションのこれからの基本は「聴く」ことではないか。そしてこれからは人に話すと笑われるかもしれないが、目の前の野菜の声を聴くことをこれから心掛けていきたい。旧約聖書の創世記に以下のような記述がある。

① 「神は仰せられた。『地は植物を、種のできる草や、種の入った実を結ぶ果樹を、種類ごとに地の上に芽生えさせよ』すると、そうなった。・・・夕が、朝があった。第三日」(創世記1章11~12節)

②「神は仰せられた。『見よ。わたしは、地の全面にある、種のできるすべての草と、種の入った実のあるすべての木を、今あなたがたに与える。あなたがたにとってはそれは食物となる』」(創世記1章29節)

野菜、果樹は人間が創造される前に創造された。野菜、果樹も置かれた場で生き延びるために「知性」を働かせているのではないか。野菜、果樹同士野菜・果樹それぞれの「言葉」で情報交換、会話をしているのではないか。対話は可能かもしれない。

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