時代小説「欅風」(34)新之助 国許に帰国 三枝・八重と再会 藩政改革推進 ―その1
新之助に国元から帰国命令が突然出た。国元に帰り、家族と一緒に暮らしたいという気持ちがたえずあったが、いざ帰国するとなると急に江戸が離れがたくなった。
何よりも才蔵、郷助、波江たちと別れなければならないのが辛い。それから何故突然帰国命令が出たのだろうか。上役の高橋信左衛門は「ワシにも分からぬ。一ヶ月以内に江戸を出発して国元に帰国するようにとのことだ。」
新之助は国元の妻の三枝に手紙をしたため送った。
「長い間、国元を留守にしていたが、江戸でのお役目が終わり、いよいよお前たちの元へ帰れるようになった。何か土産と思うが何分急な出立なので、こちらでみつくろってお前と八重に何か買って帰る。長い間、苦労をかけた。もうすぐ会える」
新之助は郷助と才蔵に会うため郷助の家を訪ねた。郷助は村の寄合とかで居なかった。
次郎太と才蔵が丁度野良から帰ってきたところで、井戸端で足を洗い、汗と土で汚れた身体を手ぬぐいで拭いていた。才蔵が日焼けした顔を上げて言った。
「新之助、久しぶりだな。元気そうだ。ところで今日は何の用事だ」
新之助も応じた。
「才蔵、おぬしこそ元気そうじゃないか。農作業はどうだ?大変だろう」
「大変さ。百姓は百の仕事をする、というがその通りだ。やることが山ほどある」
「それは良かった。ところで才蔵、俺は国元へ帰る。昨日高橋様からそう伝えられた」
「そうか。それは寂しくなるな。」
「そこで、才蔵、おぬしと今晩一杯やりたいと思ってきたのだ。積もる話もある」
話をそれとなく聞いていた次郎太が言った。
「才蔵さん、明日の準備は俺がしておくから、新之助様とどうぞ出かけてくだせえ」
「それでは、今晩はそうさせてもらいます」
才蔵が身支度を整えて、出てきた。
「ところでどこにいく?」
「俺の馴染みで『三福』という気の置けない店がある。そこに行こう」
二人は夕暮れの道を歩いた。初夏の爽やかな風につられてか、話が弾んだ。「三福」の前に来たが、ちょっと様子がおかしい。何か小さな張り紙がしてある。それにはこう書いてあった。
「突然のお知らせですが、三福は今月末を持って閉店させて頂きます。皆様の今迄のご愛顧を心から感謝しております。 三福店主」
新之助は思わず波江に声をかけた。
「波江さん、久しぶりだ。店をたたむんだ」
「あら、戸部様、お久振りです。いろいろ考えたんですが、店をたたむことにしました。」
「それは残念だな。ところで今日はお別れの挨拶に来たんだ。国元から帰国命令が出て、すぐに帰ることになった。それで今夜は波江さんの店で一杯やろうと思ってきたんだ」
「そうでしたか。お忙しい中、わざわざ来てくださり、ありがとうございます。それでは今晩は戸部様の送別会ですね。
「波江さん、こちらは私の同僚で木賀というものだ。下屋敷の同僚だ」
紹介されて才蔵は慌てて挨拶をした。
「木賀です。戸部と一緒に下屋敷では青物、土物づくりをしています。波江さんの話は戸部から聞いておりました」
「波江です。私も木賀様のことは戸部様から聞いておりました」
才蔵は思わず言った。
「面目ないことです」
新之助が助け舟を出した。
「才蔵、俺は波江さんには木賀という優秀な男が俺の同僚にいる、と話しているんだ。そうだよな、波江さん」
「木賀様、そうですよ」波江は優しい笑顔でダメ押しをした。
「ソラマメの初物がありますの。温めますので、ちょっとお待ちくださいな」
千恵が小さな鍋に湯を沸かし、ソラマメを入れた。
「お酒は最初はいつも冷でしたね」
新之助は才蔵に「冷でいいかな」才蔵は答える。「私も冷で」
新之助は江戸在勤中の思い出を才蔵に話していたが、波江にもそれとなく聞かせているようだった。
話が一区切りついた時、新之助が波江に聞いた。
「波江さん、余計なことを聞くようだが、三福をやめてどうするんだい?」
波江はちょっとためらった後、千恵の方を見ながら言った。
「戸部様。私は孤児院を開くことにしましたの。畑で青物、土物を育て、それを販売し、孤児達を世話し、孤児院を運営していきたい。そう思うようになりました。」
「それは大変な決心だな。でも波江さんだったらできるだろう。沢山の子供のお母さんになるんだね」
「お母さんになれるかどうかは、分からないけど、一人一人の子供を大切に、そして平凡でも世の中できちんと生きていけるようにしてあげたいと思っているんですよ」
新之助が波江に言った。
「波江さん。木賀は俺と違って学問もできる男だ。子供達の先生になれるかもしれん。その時は木賀に声をかけてあげてくれないか」
「ありがとうございます。その時は木賀様に相談させて頂いて良いでしょうか」
新之助は肩で才蔵を小突いた。
才蔵は少し顔を赤らめながら答えた。
「私で良かったら喜んでやらせてもらいます」
波江と才蔵のこの出会いがどのようになっていくか分からないが、新之助は心中密かに願うことがあった。
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