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時代小説「欅風」(32)波江 孤児院開設  その二

「和尚様、不躾なことを申し上げて済みませんでした。こうして和尚様が私の話を聞いてくださることが同行二人なんですね。ありがたいことです。」照枝は波江の顔を見つめながら「波江さんのような方とも知り合いになれて私は嬉しいです。伝法院通りで助けて頂いてから何か強いご縁を感じていました」

「奥様、今朝はとても大切なお話を伺わせて頂きました。貧しくとも、日々安心して暮らせる生活、私も本当にそのような世の中がくることを願っております。」

 照枝は波江の目を真っ直ぐ見ながら言った。心の底迄届くような光が照枝の目にあった。

「あなたはまだまだお若いわ。今迄いろいろな苦労をしてきたように私には見えますが、これからはきっと良いことがありますよ。ただ一つお伝えしたいことはどんなことがあっても生き抜くことです。あなたは真面目そうだから思い詰めるかもしれない。だけど、何かのために死んでは駄目よ。傷だらけになっても、例え汚れても、生きること、生きようとすることがこの人生では大事なの。あなたには千恵さんというお子さんが託されています。あなたにはあなたの役目、居場所が必ずあるはずよ。その目標に向かって歩んでくださいね。あなたならきっとできます」 

 波江は自分の心の奥底に迄響いた照枝の言葉をただただ受け止めようとしたが、みるみる涙が溢れてきた。照枝は波江の両肩に手を置いて、微笑ながら黙って何度も何度も頷いた。

「何も言わなくていいのよ。」


 次の日の朝、明け六つに幸太は畑に来ていた。

「おはよう、幸太ちゃん」波江がまず声をかけた。

「おはよう、おばちゃん」

 千恵は幸太のところに行き、手を繋いで波江のところにつれてきた。

「幸太ちゃん、今朝することはね、青物、土物についている虫をとることなの。このまま放っておくと青物、土物が虫に食べられてしまうのよ。」

 千恵は傍の小松菜の葉を取って持ってきた。青虫がついている。

「ほら、緑の虫がついているでしょ。アオムシっていうの」

 千恵が幸太に言った。

「一緒にとろう。取った虫はこのカゴに入れて、小鳥のエサにするのよ。小鳥が食べてくれるの」

 幸太はアオムシにこわごわ触った。

「大丈夫よ。アオムシはモンシロチョウの子供なの。」

 波江は二人に声をかけた。

「それじゃ、始めましょう」

 千恵は幸太にアオムシの見つけ方と取り方を実際にやってみせた。

「簡単でしょ。今度は幸太がやってみて」

 それから半刻、波江と千恵と幸太はアオムシ取りを続けた。アオムシは小さなカゴ一杯になった。

 それを見て幸太は気持ち悪そうに言った。

「わあ、たくさんのアオムシが動いていらあ」

「最初は気持ち悪いけどすぐ慣れるわ」千恵が答えている。

 そう言ってから千恵は幸太を近くの木のところにつれていき、アオムシの入ったカゴを枝に懸けた。

「こうしておくと小鳥さんたちが来て食べてくれるのよ」

「へえ、そうなんだ。」

 半刻が過ぎた。

「それじゃ、今朝はこれで作業は終わりにしましょ。幸太ちゃん、疲れた?」

 波江は慣れない作業をした幸太をちょっと心配して聞いた。

「おばちゃん、大丈夫だよ。そんなに疲れていないよ。千恵ちゃんが教えてくれたので、アオムシとりが楽しくなった」

「そう、それは良かったわ。また明日もアオムシ取りよ」

「おばちゃん、明日もやるの?」

「そうよ。今朝取り残したアオムシがいるから明日も取るの。」

「そうなんだ。甘くないんだね。それではオレは和尚さんのお手伝いがあるので寺に戻ります」

 幸太は寺に駆けて戻って行った。


 その後姿を見ながら波江は思った。

 私は子宝には恵まれなかったけど、不思議な縁で千恵に出会い、今また幸太という子供に出会った。神様が私に託してくださった子供たちかもしれない。その時、波江のこころに一つの願いが生まれた。孤児たちを預かり、青物、土物づくりを教えながら生活できないものかと。小さくても子供たちが安心して生活できる、孤児院のようなものをつくり、子供たちと一緒に農作業をして、青物、土物を売り、子供達を育てていきたい。

 孤児院では農作業の他、読み書き、和算を教え、将来世の中に出た時に立派な大人になれるよう人の道も教えてあげたい。

 そして何よりも一人ひとりの子供を抱きしめるようにして大切にしてあげたい。

 波江はこれからのことを考え、青物、土物の販売に力を入れることにした。直売所での朝の販売が終わった後、畑で青物、土物をもう一度収穫して、夕方町中にカゴに青物と土物を入れて行商に行くことだった。子供達のためにも、将来の孤児院のためにも稼がなければならない。


 その日の晩、夕食の時、波江は千恵に「おばちゃんはそう考えているのよ」と話したところ、千恵は言った。

「私もおばちゃんと一緒に行商に行きたい。私にも売らせてください」と。

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