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時代小説「欅風」(79)才蔵、新之助 一夜の会話

 新之助は才蔵に文を送った。近い内に会って積もる話をしたい、という文面に、新之助の荒木町の店「大和屋」の近況も書き添えた。間もなく才蔵から返事が来た。郷助に相談したところ、「ウチに泊りがけで来てゆっくり語り明かしたらいかがでしょう。食事はこちらで用意します。新之助様のご都合の良い日でいつでもお越しください」との郷助の伝言が書かれていた。

 新之助は大和屋店主順吉とも相談して泊りがけの日を決めて、足立村の郷助の家に向った。以前一度だけだったが、狭野藩下屋敷から郷助の家に招かれて行ったことがある。川の傍の大きな熊野神社が目印だった。昼頃荒木町を出て、足立村に着いた頃、夕焼けが空一面を焦がしていた。熊野神社のところに着いた時、「新之助」と呼ぶ声が聞こえた。才蔵だった。出迎えに来てくれていたのだ。

「新之助、久し振りだな。元気そうでなによりだ」

「オヌシもすっかり陽に焼けて元気そうだ。」

「途中迷わなかったか」

「オレは方角には強いんだ。一度行ったところは忘れない」

「そうだったな。ところで郷助さんの家は今嫁を迎えるということで大忙しなのだ。それでも他ならぬ新之助様ということで世話をしてもらうこととなった」

「それはありがたいことだ。それで嫁というのはどこから来るんだ」

「びっくりするなよ。狭野からだ。大川の普請の指揮をとった叡基様が娘同然のように大切にしてきたおしのという女子だ。オヌシも知っているはずだ。亡くなった元吉と一緒に

厠掃除をしていた。」

「思い出した。そうそう元吉だ。かわいそうなことをした。あの後、おしのは一人で歌いながら厠掃除をしていた」

「そのおしのを叡基様は大川の普請の後、引き取って狭野に連れて帰った。しっかりした気立ての良い働き者だそうだ。郷助の息子の孝吉が先年親爺さんと一緒に堺に行った帰り、叡基様のところに寄った。その時二人は初めて会ったんだが、孝吉がおしのに一目惚れしたようだ。」

新之助は叡基の人柄を思いながら、言った。

「叡基様と一緒に暮らした女子であれば、間違いないだろう。郷助さんはさぞ喜んでおられることだろう」

「今郷助さんの家は喜びに包まれている」

 話しているうちに郷助の家に着いた。

 郷助の家は2棟に分かれている。母屋を向き合うような形で2階建ての建物が建っている。1階が作業所で2階に助手達が寝泊りしている。食事は全員母屋でとる。

 作業場から郷助が飛び出してきた。

「戸部様、お久振りです。お元気そうでなによりです。いや~、何年振りでしょうか」

「五年ぶりになりますか。それにしても郷助さんもますます壮健のようで、お忙しくされていると才蔵から聞いております」

 郷助は母屋に向って声をかけた。

「おーい、タケ。戸部様が来られたぞ」

 次郎太と孝吉はまだ野良から帰ってきていなかった。

「もうすぐ帰ってきますだ。次郎太も孝吉もさぞ喜ぶことでしょう」

 タケが出てきた。

「戸部様、まさか良く来てくださいました」

 新之助は郷助夫婦に孝吉の祝言のことでお祝いの言葉を述べた。

「お陰様でウチの孝吉に嫁がくることになりました。これで一安心ですだ」

 新之助は言った。

「郷助さん。作業場の様子を拝見できないだろうか」

「取り散らかっていますが、それでよろしかったら」と言って郷助は新之助を作業場に案内した。

 作業場では助手達が作業の片付けをしていた。

「こちらが話していた戸部様だ」

 助手達が挨拶をした。

「よくおいでくださいました」

 作業場の中に何か組み立て中のものがあった。

「これは何ですか?」

「脱穀用の唐箕を作っております。最近は農機具もつくるようになりました」

 母屋の上がり框のところに桶が用意してあった。

 新之助は足を洗って手ぬぐいで拭いてから奥の座敷に向った。座敷の大卓には料理と酒が用意してあった。

 タケが言う。「何もありませんが今晩はゆっくり才吉様と語りあってください」

「何を言われますか。こんなに御馳走を準備してくださり、恐縮致します」

 新之助は持ってきた土産、江戸は四谷荒木町の銘菓「錦松梅」をタケに渡した。

 新之助と才蔵は大卓を挟んで差し向かいに座った。

 才蔵は言った。

「郷助さんご夫婦には本当にお世話になっている。ここで私は生まれ変わることができた。」

「陽にもやけて、逞しい感じになったな。良かった。本当に良かった」

「それでは互いの健康とこれからの働きのために乾杯だ」

 才蔵が新之助の猪口に酒を注ぐ。新之助が才蔵の猪口に注ぐ。

 飲み干した後はお互い手酌で飲むこととした。

 才蔵が聞く。

「オヌシの荒木町の店、大和屋は順調のようだが、どんな商いをしているんだ。」

「主な商品は縮緬の襦袢だ。他の呉服屋ではまだあまり扱っていない。そして狭野で採れる泥炭を使った化粧品、ヤーコンの粉末、ウコン入りの甘酒、それに髪飾りなども扱っている。それにしても江戸はお客様も多い代わりに競争が激しい。生き馬の目を抜くとのこのことだな、と思わされることがちょいちょいある。だから毎日毎日が創意工夫だ。オレも毎日商売の勉強だ。店の方は店主の順吉というものがよくやってくれているが、とにかく商売というのは大変だ。売れる日もあれば、さっぱりの日もある。」

「そうか、そこらへんは自然を相手にしている農業と違うところだな。人々の金回り、嗜好の変化、流行もあることだろうから。もっとも農業の場合、日々の天候に左右されるから、毎日自然という奥深いものを相手にしなければならない。」

「そういう意味では同じかもしれないな」

「もっともオヌシは商売、私は農業と今迄経験したことのないことをやっているわけで 学ぶことが山ほどある、ということだ」

 新之助が聞く。

「ところでオヌシの気の病はその後、どうだ。すっかり良くなったように見えるが・・・」

 才蔵は答える。

「お陰様でもう大丈夫だ。いやもう少しだ。ここの次郎太さん、そして寺子屋のある寺の慈光和尚に話を聞いてもらい、随分楽になった。次郎太さんと一緒に農作業をしていると無心になれるのだ。自分というものを考えている自分を忘れることができる。慈光和尚は私の話をトコトン聞いてくれる。和尚は私の人生の出来事の一つ一つの意味について一緒に考えてくれる。和尚に「私は心の芯の部分が腐っている」と話した時、和尚は「それはこのような意味でしょうか」「このように考えることはできませんか」と私に聞き、一緒に考えてくれたのだ。何も教えず、私に考えさせるのだ。ある時和尚に「お釈迦様はどのように言っておられるのですか」と聞いたところ、和尚は「あなた様の心の一番深いところにおられる仏様があなたに教えてくれるでしょう。自分で気付いてこそ、卵の殻は破れるのです。」・・・毎月二回寺子屋に行き、子供達に和算の講義をした後、和尚と一刻を過ごすようになった。」

「才蔵、いい人に巡り合うことができて良かったな。いずれオヌシも藩に戻る時がくる。

 どのような働きになるか、オレには分からないが、きっと大切なお役目を仰せつかることになるはずだ。またオヌシと一緒に仕事ができる。オレはそれを本当に楽しみにしている。」

「新之助、いろいろと心配を掛けてきたが、大丈夫だ。私もオヌシと一緒に狭野藩でお役目に励む日迄、ここで才吉として農業に、作業場での働きに、そして寺子屋での講義に、我を忘れて打ち込んでいきたいと思っている。・・・ところで狭野藩の今の様子はどうだ。藩政改革は進んでいるのか」

 新之助は嬉しそうに答える。

「一歩一歩着実に進んでいる。殿は腹を括って藩政改革を進めておられる。北条第一代の早雲様が目指した理想の国づくりをしようとされている。それから、才蔵驚くなよ、殿は江戸城に入って土井利勝様の下で幕府の御料地の経営にも関っている。」

 才蔵は驚き、聞く。

「幕閣の一員となられた・・・。」

「そうだ。お役目は極めて重い。これからが殿にとっても、狭野藩にとっても、そして我らにとっても正念場だ。オレはそう思っている。天岡は桑名の御料地の建て直しに尽力し、成功しつつある。そして助郷制度では今迄無かった仕組みを考えた。周辺の村に年貢を追加で出させるのではなく、地場産業に金を貸し付け、利足金を取り、それを宿場の充実のために使うというのだ。そのために西洋の帳合法も学び、個々の地場産業の経営を指導している。」

「天岡殿はさすがだな。やることが違う。」

 新之助は才蔵に言う。

「適材適所なのだ。オヌシにも適所が必ずある。それを磨き、伸ばしていけばいい。ただオレは最近思うのだが、学問のための学問ではなく、目の前の大きな壁を打ち砕くために学ぶ、ということが本当の学問では無いかと思うのだ。要するに実学実用だ」

 才蔵は新之助の顔を見て、言う。

「オヌシも随分変ったな。働きが人をつくるというがオヌシが輝いて見える」

 それに対し、新之助も応じる。

「オヌシも輝いて見えるぞ。ちょっと黒びかりだが、お互い、切磋琢磨して励んでいこう」

 二人は笑いあった。

「入っても構わねえですか。お酒と肴を持ってきただ」

 襖を開けて、タケがお盆の上に酒と肴を載せて入ってきた。

 食べ終わった肴の皿を片づけて、

「いつでも必要な時はお声を掛けてくんろ。それでは失礼しますだ」

 才蔵が昔を思い出しながら言う。

「狭野藩の下屋敷でオヌシと一緒に青物組で青物をつくっていた時のことが昨日のように思い出される。・・・あれからいろいろあった」

「いろいろあった。そして今ここにこうしている。」

「そうだ、今ここにこうしている」

 話は尽きなかったが、夜更けに二人とも床についた。

 翌朝、鶏の鳴く声で目が醒めた。手早く身支度をして、二人は外に出た。爽やかな空気を胸いっぱい吸ってから朝日に向かい、手を合わせて拝んだ。

 新之助が才蔵に言う。

「あそこに欅の木がある。多くの欅はまっすぐに幹を伸ばして天を目指して伸びていく。しかし、中にはそうでない欅がある。あれがそうだ。根元から幹のような枝が分かれ分れに何本も出ている。まるで人の手のようだ。指のように枝が出ている。俺はそんな欅が好きだ。根元を同じくして、それぞれの枝が何本も広がっている。

 だから強い風が吹いてきても一本の太い幹ではなく、何本もの太い枝で風を受け止める。

 俺もオヌシもそんな欅の枝ではないだろうか。オレにはそう思えてならぬ。わが藩もそうではないだろうか。」

 才蔵は新之助が指差した欅を見た。風の中、大きな塊になってゆっくり揺れている。

「そうだな・・・確かにそうだ」

 才蔵は呟いた。

 郷助家族、才蔵、そして作業場の助手が母屋の居間に集まって朝餉をとっていた。朝餉の後、その日の予定の確認、また報告などを行なうことになっている。昨日の午後、大船渡の源次から文が届いた。

 読み終えた後、郷助は言った。

「源次も元気にやっているとのことだ。これで安心した」


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